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和尚 マッサージ

2016年06月28日 category : blog 

こんにちは。

私は、チネイザンが大好きですが、お体全体のトリートメントのマッサージも大好きです。

 

 

マッサージとは学ぶ始めることは出来るが、決して学び終えることのない何かだ。
それは何処までも続いていく・・・経験は深まり、高まり続けていく。
それは最も繊細なアート・・・技術の一つだ、テクニックの熟成度が問題なのではない。それ以上に愛が問われる・・・・。
 先ずテクニックを学んでごらん、学び終えたなら、テクニックを忘れ去ってしまいなさい。
そして、ただ、感じ、感じるままに動いてごらん。
マッサージを深く学んでいけば、その90%のワークは愛によって為され、10%はテクニックによって為される。
ただ触れること、愛を込めて触れることで、身体の中の何かがくつろぐ。
 その人を愛し、慈悲を感じるならば、彼の究極の価値を感じるのなら、彼を正さなくてはならない機械のように扱うのではなく、とてつもなく価値のある
エネルギーとして扱うならば、彼があなたを信頼してくれ、自身のエネルギーと戯れるのを許してくれたことに感謝の念を覚えるならば・・・あなたは
次第に、オルガンを奏でているかのように感じられるようになる。
その人の身体全体がオルガンの鍵盤となり、彼の身体の中にハーモニーが築かれていくのをあなたは感じるだろう。
そして、その人ばかりが癒されるのではない・・・あなたもまた、癒されるのだ。
マッサージはこの世に必要とされている。というのも、この世から愛が消えてしまったからだ・・・
かつては、愛する人が触れるだけで充分だった。
母親は子供に触れ、その身体と戯れた、それはマッサージだった。夫は妻の身体と戯れた、それはマッサージだった。
それだけで充分以上だった。そこには心からのくつろぎと愛があった。
しかし、こうしたものはこの世から消えてしまった。
次第に、何処に触れたら良いのか、どう触れたら、どのくらいの強さで触れたら良いのか・・・・
人は忘れてしまった。事実、触れることは最も忘れられてしまった<言語>の一つだ。
 触れることはぎこちないものになってしまった。
何故なら、いわゆる宗教家によって、正にその言葉自体が汚されてしまったからだ。
彼らは「触れる」という言葉に性的な色合いをもたせた。
その言葉は性的なものになってしまった、こうして、人々は<触れられること>を恐れるようになった。
誰もが、許可することなしに、誰からも触れられることのないように注意している。
 そして今や、西洋ではこれと対極をなすものごとが起きている。
「触れること」やマッサージがセックスそのものになってしまったのだ。
今やマッサージはセックスを覆う単なる表紙、包みになってしまった。
だが、実際には「触れること」やマッサージは性的なものなどではない。それは愛の機能だ。
 愛がその高みから落ちてしまえば、それはセックスになり、醜悪なものになってしまう。
だからこそ、祈りに満ちていなければならないのだ。
人の身体に触れる時には、あたかも神その人自身が目の前に横たわっていて、あなたは神に仕えているかのように祈りに満ちていなければならない。
 全てのエネルギーと共に流れてごらん。
そして、身体が流れ、漂い、エネルギーが新たなハーモニーを築くのを目の当たりにすれば、
今までに感じたこともない程の喜びが感じられるだろう・・・あなたは深い瞑想の内へ落ちていく。
 マッサージをしている時は、マッサージだけすること・・・他のことを考えてはいけない、それは邪魔になる。
指や手の内に、あなたの全存在、魂が存在するかのように「ありなさい」。
マッサージを単なる身体に「触れること」にしては駄目だ。
魂の全てが相手の身体の中に入り、貫くことで、深奥の「もつれ」が解放されるのだ。
 そして、何より「遊ぶ」ようにして行うことだ。仕事にしては駄目だ、ゲームのように、楽しんでするのだ。

笑ってごらん、そして相手も笑わせてごらん。

「Hammer On The Rock   by Osho より抜粋」

 

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